09山陰・山陽10(鞆の浦その2) [旅行]



鞆は、昔は栄えた港だったのだろうけども、今では漁村といった面持ちだ。
ちょっと町の中心部を外れると(って、5分も歩かないのだが)本当にそんな感じで。
ただ、自分の母親がこうした感じのところの出身で、私も幼少の頃によくそこを訪れていたために、とても落ち着く感じがする。
むしろ、個人的な趣味だと、中心部の感じよりはこちらの方が好みだったりはする。
あまり、賛同してくれる人はいないとは思うけども。







軒下に何故かCDが吊るしてある。
想像するに、今はあまり見かけなくなった、ペットボトルに水入れて猫よけみたいな、カラスよけなのだろうか?

確かに、私も昼飯は名物の鯛料理を食べた。

が、ここのお宅のご両親は、子供に名前を付けるほど、よっぽど鯛が好きだったのだろうか…

さて。
そんな感じで歩いていると、一人のお爺さんに呼び止められ、「この町についてどう思うか?」といきなり直球の質問を受ける。
私も、この鞆が不便だからバイパスを造ろうという話があり論争になっているのは知っていたし、それで町の景色が変わってしまう前に一度ここへ来て見たかったということもある。
(鞆の浦埋立て架橋計画問題 詳しくはこちら→wikipedia)
まあ、首からカメラをぶら下げ、いかにも観光客という身なりの私だったのだが。
「私のような遠くからたまに来る観光客にとっては、今の鞆をそのまま残しておいて欲しいが、今日訪れてみて、確かに道は細いし住んでいる皆さんにとっては不便だろうなあとは確かに思った。難しい話だ。」みたいな当たり障りのないようなことを答えたと思う。
おじいさんは、この鞆で最後の船大工だったそうで、仕事場を見せて頂いた。



船の設計図など。

自分が仕掛けた網の場所を知らせる浮き。
左側の将棋の駒状のものは船のお守り。中にはサイコロ2つと、紙製の女性(弁天様?)が入っている。

おじいさんが最後に手がけた木造船。
お爺さん曰く、町の中心部は景観を守るために補助金が出るのだが、ちょっと外れると出ない。また、この辺りの殆どは借家で、トイレも水洗ではなく汲み取り式が大半でお風呂もないのだそう。
確かに、鞆町の人口は、1983年には8,789人あったのだが、2008年11月末には4,993人へ、この25年の間に56.8%と激減している。
不便な場所だから開発が入らず、古い町並みが残っているというのは当然あるのだが。
個人的には、バイパスを造ったところで、鞆の観光地としての価値を下げるだけで、ここの地が活性化するかといえば疑問である。
確かに、福山通運や洋服の青山などの本社があり備後地域の商工業の中心都市である福山市全体では人口は増えているが、この鞆や周辺地域に、バイパス建設後どれだけの開発する余地があるのか?という。
交通の便は悪くないかもしれないがあまり土地がなさそうな隣の尾道も、25年前に比べて82%と人口は減少しているし。
旅行に何を求めるのかっていうのは人それぞれ異なると思うけど、私の場合は、ただ景色を見るのも悪くないけど、歴史的な建造物だけじゃなくて食文化とか、そうした歴史に裏付けされたものを楽しみたいというのがある。
だけど、今回廻ってみて(去年飯田線に乗ったとき辺りからずっと思っているのだけど、改めて思ったのだが)、私の好きな場所が今後もどうか…というと、とても悲観的な思いではいる。
国にこれだけ借金があると、どうしても過疎地に投資するよりは、人口が集中している場所に公共投資した方が効率的で、人口が少ない場所から徐々に切り捨てられて、大都市への集中化というのがより進んでいく一方、民間企業も、個人の店から、資本が大きな全国チェーンのものに切り替わって、特に地方では、どこの町に行っても同じ店が並び何処の町にいるのか判らない状況というのが一層進むのだろう。
今回、中国地方を旅してみて、いずれの場所でも会話を交わしたのはみな高齢者(しかもかなりの)だったし、松江とかの都市以外では観光客以外の地元の方で若い方を見かけるということはあまりなかった。(そういう場所へ行かなかったってこともあるかもしれないが。)
全国で限界集落が一番多いのは、この中国地方だったりするし、特に山陰地方は高速道路も殆どなく、やはり不便なところである。
だからその分、良いなあと思わせる場所が沢山あったのだが。
京都とかそうしたメジャーな観光地を除いて、どこも高齢化がかなり進んでいて後継者がいないため、あと10年とか20年でいま生活なさっているお年寄りの方々がいなくなると、そこで歴史が断絶してしまい、その土地が終わってしまうのかな…という気もしている。
(今回でいえば、例えば吹屋がそうだった。この鞆もそんな感じだし、隣の尾道もちょっと外れたとこだと…って感じだった。言葉は悪いがその辺りの腐りかけの微妙な感じが、とても好きなんだけども。)
宮崎駿みたいに、鞆の浦を舞台に映画を…って訳にも行かないので、精々、私はそうした場所が現存する間に訪れて、記憶したり記録したりすることしか出来ないのだが。

帰りは、昼過ぎに福山から高速に乗ったものの、結局、家にたどり着いたのは翌朝の9時頃だった。
(特に、伊勢湾岸から東名に入るところが最悪だった。)
【関連記事】
09山陰・山陽1(高梁・吹屋)
09山陰・山陽2(吉田・津和野)
09山陰・山陽3(津和野2)
09山陰・山陽4(萩)
09山陰・山陽5(小倉)
09山陰・山陽6(東行庵)
09山陰・山陽7(出雲・松江・境港)
09山陰・山陽8(石見銀山)
09山陰・山陽9(鞆の浦)
09山陰・山陽10(鞆の浦その2)





コメント 0